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「面白くなければ途中でやめる」派がRedditで主流に──積みゲーと時間が変えた遊び方

投稿: 2026/08/10by tobariware6分で読めますAI下書き
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「もうこのゲーム、最後までやらなくていいや」——そう思ってアンインストールした瞬間を、あなたは覚えているだろうか。r/gaming に立ったそんな問いかけに、身に覚えのある告白がぞろぞろと集まった。

きっかけを書き込んだ人は、積み上がったゲームを崩そうと『Crysis Remastered』を起動したという。半分くらいは楽しめたものの、同じ場所で何度も死ぬうちに「そもそも自分はこの先に興味がない」と気づいてしまった。フラストレーションを押してまで進める理由がない。そう悟って、いつか戻る約束つきの削除ではなく、二度と触らないつもりでアンインストールした——という話だ。

長くゲームを遊んできた人ほど、この「途中でやめる」への抵抗感は薄れていくらしい。かつては一本を最後まで遊び倒すのが当然だったのに、いつからか合わないと感じた時点で手を止めるようになった——という声が、賛否というより“共感の連鎖”として広がっていったのが今回のスレッドだにゃ。

なぜ「クリアしない」が後ろめたくなくなったのか

読んでいくと、この変化を支える理屈がいくつも見えてくる。ひとつは、単純に遊べる時間が減ったこと。もうひとつは、遊びきれないほどのゲームを誰もが抱えている“積みゲー時代”になったことだ。

楽しい現実逃避のはずが、作業や仕事みたいに感じ始めたら、そこでやめる。だから最近クリアするゲームはめっきり減ったよ。

「良くはなかったけど一応クリアした」って言える人の忍耐力にいつも驚く。自分は面白くないなら遊ぶ意味を感じない。5時間くらい遊んで「これは合わなかった」で十分なんだ。

時間の制約は、ライフステージによってもくっきり分かれていた。小さな子どもがいる人にとって、ゲームの時間は文字どおり貴重品だ。

幼い子どもがいると、遊べる時間はほんと貴重でね。ノらないゲームを最後まで遊ぶなんて絶対にしない。10年、15年前の10代や独身の20代ならともかく、今はもう無理。

一方で、時間はあっても“選択肢が多すぎる”ことが理由になる人もいる。

時間はあるんだけど、ライブラリが膨大だから合わないものに固執する必要を感じない。残りの20〜100時間を消化することもできるけど、もっと楽しめる別のがあるならそっちを遊ぶよ。

面白いのは、この感覚を「子ども時代との落差」で説明する声が目立ったことにゃ。

子どもの頃や10代の頃は、9割方ヒマで他にやることがなかったって忘れがちだよね。友達がつかまらなければ、結局ずっと同じゲームを遊ぶことになってた。

つまり、昔は「暇だから一本を延々遊べた」のであって、根性でクリアしていたわけではない——という身も蓋もない指摘だ。とはいえ、すぐ投げ出すわけでもない、という慎重派もいる。

ダラダラに感じたゲームが急にハマることもある。惹かれる要素があるうちは、何かが噛み合うのを期待して続けてみる。ただ、本気で不快で他に見どころもないなら切るね。

実際、序盤の印象と最終評価がひっくり返る例も挙がっていた。3月に発売された Pearl Abyss のオープンワールドRPG『Crimson Desert』を引き合いに出した人は、こんな告白をしている。

序盤は操作感が最悪で、システムが多すぎるし意味不明で退屈なクエストばかり。なのにある時点で猛烈にハマって、結局ひと月で100時間以上遊んじゃったよ。

こういう体験があるからこそ「もう少し粘ってみよう」と思える。でも、その“もう少し”がどれだけ長いのかが次の争点になった。

やり玉に挙がったのが、コミュニティでよく言われる「このゲームは○○時間あたりから面白くなる」という擁護のされ方だにゃ。名前が出たのは『ファイナルファンタジーXIV』だ。

これはまさに FF14 のサブレディットそのもの。「レベル50あたりから本領発揮する」ってよく言うけど、じゃあ70時間くらい遊ばないと面白くならないの? 遠慮しておくよ。

同じことを『FF13』でも言われてたのを思い出す。「パルスに出れば面白くなる」って、それゲームの75%地点でしょ。50時間くらいの本編の、しかも評価が“賛否両論”だったやつの。

ただし FF14 については、「その先が良かった」というフォローもきちんと付いていた。ここは擁護と批判が真っ向からやり取りになった箇所だにゃ。

でもその先の何百時間は本当に良かったよ。ARR以降のストーリーは、この20年のFFでも屈指だと思ってる。

面白くなるまでが長い、という不満と、越えた先に見返りがある、という実感。どちらも嘘ではないぶん、噛み合いにくい。結局のところ「その助走に何十時間を賭けられるか」は人によって違う、というところに落ち着いていく。

議論の底に流れていたのは、支払ったお金と時間をどう考えるか、という損得勘定だ。「元を取らなきゃ」という気持ちこそが、つまらないゲームを続けさせる正体だ——という分析が刺さっていた。

楽しめるのがその5時間だけなら、無理に次の10/20/30時間を遊んでもお金は同じだけ払ってる。これはもうサンクコスト(埋没費用)。だったら時間を節約したい。

自分が払ってるのは、退屈を耐えた時間じゃなくて“楽しかった時間”に対してだよ。1000時間ぶんの中身があっても、楽しいのが20時間なら意味がない。長さ=価値だと刷り込まれてる人が多すぎる。

そして、この一連の空気を一行で言い切った書き込みに、多くの同意が集まっていた。

人生は短い。ゲームの中で二つ目の仕事をしてる場合じゃないよ。

最後に、子ども時代から今への変化をきれいにまとめた声を引いておくにゃ。

子どもの頃は暇で新作も限られてたから、つまらなくても持ってるゲームは全部遊んだ。大人になって時間は減り、新作は増えた今は、少し粘ってフェアに判断して、それでもダメなら切る。

かつて誕生日を待って一本を握りしめた世代が、いまは膨大な棚を前に「合わなければ次へ」を選ぶ。クリアという達成より、面白かった時間そのものを勘定に入れる——その物差しの切り替えが、静かに“普通”になりつつあるのだと、このスレッドを読んでいると腑に落ちる。

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